遊びは文化より古い。──ホイジンガ/カイヨワの「遊び」
オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガが、「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)という人間像を世に提示したのは、欧州にファシズムの嵐が吹き荒れる、第二次世界大戦勃発前夜の1938年のことでした。
❝ 人間の文化は遊びにおいて、遊びとして、成立し、発展した。❞
『ホモ・ルーデンス』ヨハン・ホイジンガ
「遊び」は文明にどんな痕跡を残し、人間の共同体においてどんな意味を持つものなのか。母国オランダの急速な近代化の中で、文化が危機に瀕していることに胸を痛めていたホイジンガは、「遊びの喪失」にその最たる要因があると見ました。
『ホモ・ルーデンス』ヨハン・ホイジンガ(講談社学術文庫)
遊びは「ありきたりの世界」を一時的に脱却する営みでありながら、共同体の規範をつくり出す力を持つものでもあります。いったいなぜ、人は(また動物も)遊ぶのか。時に人々を狂気にまで駆り立てる「遊びのおもしろさ」とは、なんなのか。それはいかなる分析も論理的解釈も寄せつけない領域にありながら、それこそが論理ではとうてい達し得ない領域へと人間を運んでいくものである、とホイジンガは言います。
❝ 遊びは秩序を創造する。遊びイコール秩序である。遊びは言うなれば、美しくあろうとする傾向を秘めている。 ❞
『ホモ・ルーデンス』ヨハン・ホイジンガ
『ホモ・ルーデンス』から20年後、ホイジンガの「遊び論」を受け継ぐ形で、ロジェ・カイヨワは『遊びと人間』を書きます。「遊びは仕事の準備訓練ではない」として、遊びの普遍的な文法やシンタックスを「遊び」というそれ自体の特徴として示しました。遊びの特性を4つに分類し(「アゴン」(競いの遊び)、「アレア」(賭けの遊び)、「ミミクリー」(真似の遊び)、「イリンクス」(目眩の遊び))、そこに「パイディア(自由になろうとする熱中)」と「ルドゥス(縛りの中の熱狂)」というメタモデルをかけ合わせて、これらを組み合わせながら文化の諸現象を読み解いていきます。
カイヨワが特に重視したのが、「ミミクリー」(模倣、真似、相似)でした。異質なもののあいだに関係線を発見し「似ているものを見つけ出す」ことこそが、人間にとっての最大の誘惑であるとカイヨワは考えました。
❝ 遊びとは、容易に構成しがたい諸力をうまく組み合わす術である。
遊びほど注意を、知力を、神経の強靭を必要とするものはない。 ❞
『遊びと人間』ロジェ・カイヨワ
「編集」という遊び ──松岡正剛の「遊」
1971年、松岡正剛はこの「遊」という一文字を冠した雑誌を立ち上げました。後に語り継がれることになる「オブジェ・マガジン『遊』」の創刊です。27歳の時でした。
「遊」創刊から遡ること5年ほど前に、松岡は「the high school life」という高校生向けのタブロイド誌の編集を手掛けています。大学卒業間近に父親が急逝し、多額の借金を抱えることになった松岡は、広告代理店の歩合制の営業で借金を返していく傍ら、「the high school life」の編集長を引き受けました。宇野亜喜良のイラストレーションを背景に、石原慎太郎、澁澤龍彦、倉橋由美子、五木寛之といった大人たちが語る「青春の一冊」が表紙を飾り、多彩な執筆陣が文学、思想、科学、芸術とジャンルを越えて縦横無尽に交わる。高校生の胸元に世界への好奇心を直球で投げ込むような誌面づくりに、寺山修司は「これは東京のヴィレッジヴォイスだ」と絶賛したそうです。
「the high school life」:東販が全国書店で無料配布した高校生向け読書新聞。
日本でのタブロイド版新聞のさきがけともなった。(図版:千夜千冊1696夜より)
この頃すでに松岡の中では、多様なジャンルの知を縦横無尽に重ね合わせるようなメディア編集への触知感覚が動き始めていたのでしょう。数年後、誌面の中でさまざまなオブジェクトを自在に動かしたいというイメージとともに生まれたのが、オブジェ・マガジン『遊』でした。
❝ そんなことを、死んだ父親が残した借金をやっと返しおわって、さて一文なしになってこれからをどうしようかと左見右見しているころに考えていた。1970年の晩夏のことだ。そして、ふいに思い立った。一年後に雑誌を創刊してみようと決めたのだ。オブジェ・マガジン「遊」と銘打ち、そこをトポスとして、さまざまなインスピレーションが飛び交う場にしたいとも決めた。 ❞
千夜千冊10夜「内なる神」ルネ・デュポス
後に松岡の生涯の師となる杉浦康平さんをデザイナーに迎え、「オブジェ・マガジン『遊』」の編集が始動します。物理学と民俗学、仏教と数学、生物学と現代アート、およそ見たことのない組み合わせで、世界を縫い合わる。ホイジンガの言うような「ありきたりの世界」から逸れていく大いなる遊びとしての編集が、東池袋の工作舎で唸りを上げていきました。「ミミクリー(模倣・真似・相似)」の遊びに夢中になるように組んだ「相似律」特集号では、ぜひともカイヨワに見せたいと、入稿前のゲラを抱えてカイヨワのパリの自宅まで訪ねていったそうです。
「オブジェ・マガジン『遊』1001号 相似律」(1978)
木目、ガラス、アスファルト、象の尻尾、クモの巣などの割れ目。自然現象や文化にある相似性を集めた。
(図版:千夜千冊1696夜より)
❝ 『遊』は前半がホイジンガ、後半がカイヨワだったのである。 ❞
千夜千冊772夜「ホモ・ルーデンス」ヨハン・ホイジンガ
遊ぶものは神である。──白川静の「遊字論」
「遊」という漢字は、もとは神の出行を表すものです。「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。」この有名な一節で始まる白川静さんの「遊字論」は、『遊』の連載として編まれていきました。隠れたる神の出遊をいうのが「遊」という字の原義で、人の遊びは、神の遊びをもてなすことに始まりました。
❝ 遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる。 ❞
『文字逍遥』遊字論 白川静
『文字逍遥』白川静(平凡社ライブラリー)「遊字論」が収められている。
彷徨する神を意味する「遊」には、旗を掲げて共に出かけていく氏族の姿が入っています。松岡は「漢字は四角い方形の姿をした「意味の船」である」と言いますが(『白川静』)、この「遊」という漢字一字にその存在を託したオブジェ・マガジンは、多くの才能を迎え入れながら「編集」という営みのあらゆる可能性が乗り込める船となったのだろうと思います。
❝ 遊びは編集であり、編集の本質は遊びなのである。だからホイジンガもこう書いた、「遊びはものを結びつけ、また解き放つ」 ❞
千夜千冊772夜『ホモ・ルーデンス』ヨハン・ホイジンガ
「遊学」から「編集工学」へ ──Editorial Engineering Laboratory
かくして松岡正剛の「遊学」は、しだいに「編集/Editing」というそれ自体の方法知として姿をあらわしていきます。
すでに所与のものとしてあらわれている事物をリバース・エンジニアリングし、見過ごされていた関係線を発見し、メディアもメソッドもメッセージも一緒くたに動かしながら新たな世界像へと組み上げていく。世界中の知は古今東西の時空をまたいで互いに重なる糊代を持っており、メディア上ではテキストも画像も読み手の認知も相互に繋がり合おうとする。ホイジンガの追求した「遊びのおもしろさ」がそうであるように、論理的分析を寄せ付けず、非線形であり、多重的であり、多分にアナロジカルな編集の世界が動き出していました。ちょうどアラン・ケイのダイナブック構想やMacintoshのGUI(グラフィカル・ユーザ・インターフェイス)が出現した時代背景もあいまって、「編集」的世界像と「工学」的手法が出会っていきました。
これが後に、「編集工学」となります。
❝ 編集工学は、生命情報(もしくは情報生命)の驚異的なヴァリエーションがどのように生まれたかということを先駆的モデルとし、そこから人間の知覚や思考が派生して、言葉や道具や計算のしくみを使いながら、どんなふうに知覚や思考を文明文化にあてがってきたかを副次モデルにして構成された。 ❞
時期を同じくして、電電公社の民営化に際した記念事業の相談が松岡のもとに入ります。電話百年を記念して「情報と捉えられるものの歴史」をまとめる「情報の歴史」プロジェクトがスタートしました。1987年、「編集工学研究所」はその活動母体として設立されます。「生命に学ぶ・歴史を展く・文化と遊ぶ」をスローガンに、世の中のあらゆる事象を「編集」によっておもしろくしていく。松岡正剛は編集工学研究所の所長として、『情報の歴史』(NTT出版)の編集制作を指揮し、「NTT情報文化研究フォーラム」の座長として百名を超える諸分野の研究者やアーティストをオーガナイズしました。
2000年には、ここまでに松岡が積み上げてきた「編集」を学ぶ学校「イシス編集学校 」(校長:松岡正剛)を開校、「Interactive System of InterScores」と冠したこのネット上の学校は、相互編集による遊びがそのまま学びになる場として、これまで3万人が入門し1000人ほどの「師範代」(編集コーチ)が誕生しています。
2005年には企業人のための塾「ハイパーコーポレートユニバーシティ[AIDA](のちに「Hyper-Editing Platform[AIDA] へ)」(座長:松岡正剛)を開塾、2020年からは近江の地で仏教を考える「近江ARS 」をスタートし、多層多彩な人々とインスピレーションが交差する独自のトポスをつくり続けています。
中世に茶の湯やロンドンのコーヒーハウスが持っていたような「遊」とともにあるクラブ性を、速度をましてフラット化していく世界の中に生み出し続けてきたのが、松岡正剛の仕事であったのだと思います。
豪徳寺オフィスの書斎で、深夜まで執筆・原稿手入れをする松岡正剛(2023年) 撮影:後藤由加里
松岡正剛、80歳。 ──出遊は続く
白川静さんは、東洋における「遊」の観念は「世界の象徴としての遊び」に近いと説き、臨済の公案から次のような言葉を引いています。
「自ら笑ふ一聲して天地驚く」
「遊」は「人間の遊び」というにとどまらず、「遊」はこの世に存在するもの全体に働き、その全存在によってまた自らも揺り動かされる。その全体と部分の主客が常に入れ替わりながら動き続ける世界像が、東洋、ことに日本における「遊」の精神だと言います。
❝ 「遊」とは「遊び」のことである。世界そのものが遊んでいるような遊びのことである。遊んでないものには革新がない。 ❞
松岡正剛の「遊」とはおそらく「世界そのものが遊んでいるような遊び」、その割れ目に飛び込んでは、あらわれようとするものを編集によって新たにあらわし続けた、そのプロセスを捉えたものであると思います。この「あらわれ」と「あらわし」の間を旗を掲げて出遊すること、その交差によってまた新たな革新があらわれることが、松岡正剛が仕掛けた「遊」というトポスでした。
今年1月25日、松岡正剛は80歳の誕生日を迎えました。傘寿にしてなお、日々の編集を遊び、遊びを編集する日々です。出遊は続きます。
松岡正剛の80歳誕生日を祝して、スタッフや教え子たちが大いに遊んだお祝い「八十才人 相合傘寿」。松岡の0歳~80歳の軌跡を、それぞれの年代を象徴する「才人」に肖りながら一人一ページ(年)を担当して書き寄せ、一冊に綴った。
構成・編集:太田香保(松岡正剛事務所) デザイン・製本:穂積晴明(編集工学研究所)
ライター/エディター:松岡正剛事務所・編集工学研究所・イシス編集学校・百間
松岡正剛(1944年1月25日生まれ) 撮影:後藤由香里
安藤昭子(編集工学研究所 代表取締役社長)
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