【AIDA連レポート vol.1】Season3 第1講、その後
2022年10月15日に行われたSeason 3 第1講。「日本語としるしのAIDA」の見方にヒントを得た学衆たちは、その後どのように思索を深めたのか? オンラインプログラム「連」での様子をレポートする。
[AIDA]ならでは。 オンラインプログラム「連」の仕組み
[AIDA]は、聞きっぱなしの座学ではない。「座衆」(受講生)は講義やセッションで浴びた未知を自らの言葉に再編集し、特別に仕立てられた場の中で「AIDA師範代」(編集コーチ)がそれを受け止めては打ち返す。そのやりとりを通じて、座衆はひとりひとり思索を深めていく。
「知のコロシアム」ことHyper-Editing Platform[AIDA]には、オンライン上に「連」と呼ばれる場が用意されている。座衆7〜8名とAIDA師範代1名からなる小さなグループだ。「かなくし連」「ながめく連」「たかとき連」「おおなぎ連」と名付けられた4つの連での応答が、月一度のライブセッションのあいだを活発に補う。
単なる交流の場ではない。考えては言葉にし、また互いの言葉に触発され、新たな見方を獲得していく共創の場だ。連の中で、座衆は次のライブセッションに向けて出題される課題に取り組む。ひとりひとりから寄せられる回答に対して、AIDA師範代が更に思考を動かすコメントを返す。グループごとにコーチがつき、それぞれの見方を引き出しながら、思考力と編集力を鍛えていくシステムだ。
Hyper-Editing Platform[AIDA]の仕組み。「連」と呼ばれるチームに分かれ、AIDA師範代のもと、オンラインでお題に取り組む。交わし合いを通して、ライブセッションの合間に学びを深める。
「日本語としるしのAIDA」第1講で、座衆は何を考えたのか
第1講が終了するやいなや、連には、「振り返り課題」にこたえる形で、さっそく「問い」や「気づき」の言葉が多く寄せられている。各人が「日本語としるしのAIDA」を考えていくための見方が浮き上がってきた。各連から座衆のコメントを引用する。
Season 3 第1講開催レポート「日本語としるしのAIDA」を問う
日本人として日本語を使い生きているなかで、外国人から日本語の意味を問われても十分な説明ができない。そんな自分を恥じ、少しでも日本や日本語を知る必要があると感じながらも、行動できない自分がいる。
(ながめく連・Fさん)
論理的であろうとすればするほど、論理で説明できないことが湧き上がってくる。
わかりやすさを共感のトリガーとしているコミュニケーションのあり方の限界を超える方法論とは何であろう。
(かなくし連・Yさん)
私たちの祖先は歌を読むことによって「今」と「気持ち」を大切に自由にしなやかに暮らしていたのではないだろうか。
他方、現代の私たちは、過去を後悔し未来を憂いたり、都合の良いロジックで納得させたり・・・と
自分たちで自分たちの自由を奪ってしまっているような気がする。
(おおなぎ連・Iさん)
日頃から論理的かつ効率的な表現を心がけてきたが、
決めにくい、表現しにくいことの方が、重要性が高い場合があるのではないかとハッとした。
(たかとき連・Fさん)
ボードメンバーや松岡座長の言葉、連の仲間の問題意識に刺激を受け、座衆にとっての「日本」「言語」「コミュニケーション」の常識が、グラグラと揺れ始めている。
ライブセッション当日には、座衆同士がリアルで交わし合う機会もある。