Season 3 第2講
中世にみる日本のしるし
2022.11.12
壊す・肖る・創る。――Hyper-Editing Platform[AIDA]は、全6講を通じ、この3つのフェーズを進む。
座衆たちは、第1講の松岡座長と6人のボードメンバーとの交わし合いで、
「日本語としるし」に対する固定観念が壊れ始めた。次なるフェーズは、「肖る(あやかる)」。
[AIDA]が肖るべき達人として第2講に迎え入れたのは、日本中世文学研究の第一人者、田中貴子さんだ。
●田中貴子(たなか・たかこ)
1960年京都府生まれ。奈良女子大学文学部卒業、広島大学大学院文学研究科修了。博士(日本文学)。日本中世文学専攻。現在甲南大学文学部教授。日本中世文学を軸として、絵画、イメージ論、歴史学、民俗学、身体論など、領域を超える研究を続ける。猫2匹と暮らす愛猫家。著書に『中世幻妖』(幻戯書房)、『〈悪女〉論』(紀伊國屋書店)、『聖なる女』(人文書院)、『猫の古典文学誌』(講談社学術文庫)、『性愛の日本中世』(ちくま学芸文庫)、『外法と愛法の中世』(砂子屋書房/平凡社ライブラリー)、『百鬼夜行の見える都市』(新曜社/ちくま学芸文庫)、『「渓嵐拾葉集」の世界』(名古屋大学出版会)、『あやかし考』(平凡社)、『尼になった女たち』(大東出版)、『鏡花と怪異』(平凡社)など。
中世に「日本語としるし」のおおもとがある
前回の第1講で、松岡座長は「現在の言葉や見方だけで考えずに、ものごとの発生や起源(アーキタイプ)に戻る」ことを強調した。「日本語としるし」のおおもとはどこにあるのかというと、それが、中世なのである。
それまでの貴族中心の「みやびな世」から、源平の武士団が登場する「武者の世」へ。むき出しの力が世を動かす劇的な変化がおきたのが中世だ。これまで表立っていなかった庶民が力を持ち、芸能者や職人などのネットワーカーが次々に出てきては消え、世の中に大きな影響を与えていった。中世とは、世の中が決して定まらない「うつろひの世」でもあった。
源実朝や西行、平家物語や世阿弥といった中世を代表する人々を並べても、「無常」や「道理」という「いわゆる中世」な価値観を持ち出しても、変化を常とする中世の姿そのものは見えてこない。
ではどうするか。田中貴子さんが座衆に突きつけたのは、中世の死生観、「生のうつろい」のしるしとしての「九相図(くそうず)」である。
『九相図巻』九州国立博物館蔵。出典:ColBase。絵巻形式では現存最古の九相図。鎌倉時代14世紀成立か。
九相図に刻まれた「無常観」
中世の人々にとって、死は常に隣にあるものだった。
「そもそも九相図は、九相詩と一対のものですが、中国の九相詩が、生の苦や生老病死の四苦を描くものであるのに対し、物理的な死後の変化のみを描いた日本の九相詩および九相図は、日本独自の表現でしょう。生の無常なることを時のうつろいとともに示しているのではないか。九相図には不浄というより、無常観が描かれている」田中貴子さんはいくつもの九相図を明示しながら、その表象を解いていった。
ボードメンバーに肖る「中世の見方」
次々と映し出される九相図と田中貴子さんの切れ味鋭い語りに引き込まれた後は、ボードメンバー、座衆とのセッションが始まる。
社会学者の大澤真幸さんは、九相図から「滅びゆくなかに美を感じる」という日本の美の特徴=無常観を抜き出した。「西欧には〝美〟と〝崇高〟という概念がある。美とはストレートな快感。崇高は一瞬恐れを抱くが、そこのことで超越的なものを感じること。日本の無常観は、そのどちらにも入らない感性がある」。
江戸文化研究家の田中優子さんは、江戸と中世の「死生観」の違いに着目した。乱世の中世は死と向き合わなければならず、日常に転がっている死を無常と思うことで処理したが、泰平の世となった近世では、死へのスタンスが変わった。「中世から近世に至り、死生観の転換があったのでは? 幕府による管理体制が整った江戸では、寺が死を引き取った。〝死〟との生身での接点が日常から消えたのです」。
「中世は、ウツでもウツツでもなく、そのあいだを行き来するウツロヒを多く生み出してきた。過去と未来、ウツとウツツ、無常と不浄、聖なるものと俗なるもの、こうした両端を一緒くたに、デュアルにみるのが中世です」(松岡座長)
今、世界は乱世の兆しを見せる。中世という乱世の「しるし」、「ウツロヒ」を見ることは、「いま」を問い直し、思考することに深くつながっている。
次回第3講では、折口信夫や南方熊楠を通じて日本を問うてきた安藤礼二氏(日本文芸評論家)、日本の歴史を描いてきた安彦良和氏(漫画家)と共に、近畿大学アカデミックシアターを訪問。一泊二日の合宿で、日本・歴史・漫画の「日本語としるしのAIDA」を探求する。