[AIDA]受講者インタビューvol.5 土屋恵子さん(モナド代表)
細部までしつらえた[AIDA]の〝場〟が創発を起こす
土屋恵子さんは、グローバルカンパニーを中心に、20年以上にわたって「人事」「組織」の仕事に携わってきた。
アジアや欧米をまたぐ企業の中で仕事をしていると、ぶつかるのは「日本とのギャップ」だ。だがその「ギャップ」をひもといていくと、そこに「深くて未知なる日本」が隠れていることに気づいたという。
では、日本を深く知るにはどうしたらいいか。そう考えた土屋さんは、知人に勧められ、2016年、[AIDA]の門をくぐる。
土屋さんが[AIDA]で得たものとは? [AIDA]との出会いから現在までを伺った。
土屋恵子(モナド代表)
長野県生まれ。ケース・ウェスタン・リザーブ大学経営大学院組織開発修士課程修了。ジョンソン・エンド・ジョンソン、GEなど、グローバルカンパニーを中心に、20年以上にわたり、統括人事・人材育成部門の統括責任者として日本およびアジアのリーダー人材育成、組織開発の実務に携わる。2015年より、スイスに本社を置く総合人財サービスを提供するアデコグループの日本法人で取締役を務める。
グローバル企業の組織開発に携わる中で感じた、「日本」を学ぶ必要性
――土屋さんは2016年に[AIDA]を初めて受講されました。それから8期連続して受講されています。ここに至るまでの経緯を教えてください。
土屋:人事や組織の仕事にずいぶん長いあいだ関わってきました。その中で「人とは何か? その可能性を探究したい」という思いを持ち続けていることが、[AIDA]に惹きつけられているのだと思います。
ビジネス的なプロフィールを順を追ってお話しすると、社会人になったのは1980年代の初めです。新卒でやりたいことのできる会社に就職できたのですが、居心地がよすぎて、このまま居続けたら世の中を見ずに終わるんじゃないか、と危機感を持ちました。それで20代で転職したのです。
転職した先は、アメリカに本社があるヘルスケアメーカーでした。そこで、誰も手を挙げないこともあり、本社の新しいビジョンを日本支社に導入する際の担当を半ば押しつけられたのですが、楽しみながら試行錯誤した結果、組織の風向きが少し変わったんですね。
振り返るとこれが、今でいう組織改革に携わり続けるきっかけでした。90年代の初め頃のことです。世界の転換期にあり、会社もまた変わっていこうとしていた時代です。そうした組織改革プロジェクトに携わっていく中で、「人事に向いているんじゃないか」とトップから指摘されたのです。
人事というと、「管理」のイメージが強かったのですが、そうじゃないんだと。経営のパートナーとして、組織を活性化するために人事があり、現場と一緒になって走り回るのが人事だと言われたんです。部屋に籠もっていなくていい、というのは魅力的でした。以来、何度か転職しましたが、ずっと人事・組織畑を歩んでいます。
――グローバル企業の人事や組織開発に携わる中で、なぜ[AIDA]を受講したいとなったのですか?
土屋:外資系といっても日本支社である以上、やはりそこは「日本」なんです。むしろディープな日本があった。この先、日本の中で組織の運営や変革に関わるなら、もっと深く日本を知る必要があると思ったんです。
さらに、「人事や組織とは何か?」ということを突き詰めると、「人間とは何か?」を問うことになる。それを探究し続けるために、自分なりの「世界観」を持ちたいと考えていました。
そうしたことを、たまたま、同じ人事畑で知己だった三菱商事の和光貴俊さんに相談したんです。もっと深く日本を学べる場所はないかって。和光さんは実は[AIDA]の発起人のお一人でした。そうして[AIDA]を紹介いただきました。
▲Season3のテーマは、土屋さんの問題意識に近い「日本語としるしのAIDA」だった。第1講の自己紹介にて。
日本が本来もっている方法にヒントがある
――日本を深く知りたい、自分なりの「世界観」を持ちたい、という動機だったのですね。
土屋:外資系で働く中で、世界と日本のギャップを感じてきました。言葉、考え方のギャップもたくさんあります。でもこの「ギャップ」は決してマイナスなことだけではありません。世界にあって日本にないと思われているものも、実は日本が本来持っているものかもしれない。その方法にこそヒントがあるのではないかと、思い始めたんです。
例えば、ビジョンを策定してそれを全社に行き渡らせるという方法も、欧米流の「経営ビジョン」という言葉が使われる前から、日本社会には当たり前にあったことですよね? 50年先、100年先を見据えて経営するのは、日本のかつてのお家芸だったわけですから。
―たしかに、松下幸之助も「百年の計を立てろ」と繰り返していますね。
土屋:「人的資本経営」もそうです。この言葉が今、盛んに口にされるようになっていますが、これも煎じ詰めれば「社員を大切にする」ということです。従業員を家族のように考え、多様な個性や成長を支援する経営も、すでに日本にあった方法です。こうしたことは一例です。日本を深く知れば、何かこの先の手がかりが見つかるのではないかという確信がありました。
―それで、2016年に「名人と達人と職人のAIDA」を受講されたのですね。
土屋:この期では、左官職人の挾土秀平さんの講義がありました。雪が舞う夜の飛騨高山で、挾土さんの宮沢賢治の作品(『春と修羅』を記号化した土壁画)の前に座衆とスタッフが集う。
焚き火の明かりが揺らぐ中で、「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です……」と松岡座長が賢治の『春と修羅』の詩を朗読する。
それは、日本の職人の技や名人の世界を心と体で感じる、とてつもなく濃密な時間であり、空間でした。情報の質と量がまったく違った。その体験を言葉にするのが難しいのですが、とんでもないことが起きていることだけはわかりました。
[AIDA]では毎期、2日間の国内合宿がセッティングされますが、そこではいつも想像を超えたことが起きます。それを経ると、世界の見え方が変わる。これまでとはアクセスする世界が変わってしまった、と言ったらいいでしょうか。
▲[AIDA]の前身であるハイパーコーポレートユニバーシティの第12期「名人と達人と職人のAIDA」。第5講は左官職人の挾土秀平さんの工房がある飛騨高山で合宿。雪が積もる夜、焚き火の横で松岡座長が賢治の『春と修羅』の詩を朗読した。
謎を解くために[AIDA]を受講し続ける
――以来、[AIDA]には8期連続して参加されています。
土屋:[AIDA]の体験は、体験すればするほど、深くなっていきます。深い深い森に踏みいっていくといいますか、異次元に入ってくといいますか。
限られた時間では、松岡座長の持っている「知の宇宙」の100億分の1も披露されていないと思いますが、100億分の1にも関わらず、深く広い。そして、言動の節々から、残りの広大な知を感じることができる。
リアルで現地参加していると特にです。大量にメモをとり、そこで疑問に思ったことを自宅に戻ってから調べ直すのですが、答えにたどり着くどころか、謎が深まる。謎を解きたくて「もう一期、もう一期」と受講が続いています(笑)。
また、[AIDA]で、ゲストやボードメンバーの話を伺っていると、自分の知や見方の不足が明らかになります。「まだ足りない」と気づくから「もっと学ぼう」となる。
――土屋さんは、[AIDA]だけでなく、イシス編集学校の基本コース[守]、応用コース[破]も体験されています。
土屋:[AIDA]では講義ごとに課題を提出しますが、そこで求められるのは、報告書やレポートの類いではありません。気づきや問いを連ねていく、創造的な文章です。本当は創造的な文章こそ、ビジネスの現場で求められているんですけどね。
言葉にもっと向き合いたいな、と思っているときに、編集工学研究所が「イシス編集学校」を運営していることを知りました。
[AIDA]は秋から冬にかけて開講されるので、春から夏のコースを狙って、[守]、[破]をそれぞれ学びました。特に[破]では一篇の物語を仕上げるのですが、ここで教わった方法を用いると、私でも物語が書けてしまったことに驚きました。
[AIDA]の場は余白を生かす伊万里焼のよう
――[AIDA]で土屋さんが特に得たことや驚いたことは何でしょうか。
土屋:組織開発からの視点でいいますと、今、組織が必要としているのは、「創発する場」です。
かつては、ビジネスの場では、集まって何かを話し合うときには、「用意された正しい答え」にたどり着くことを期待され、ある種コントロールされていたこともありました。
ですが現在は、それでは立ちゆきません。私自身、ゴールを設定して合理的に対話を運ぶのではなく、いかに良い意味でのカオスが場に生まれ、一人ひとりから出てきた情報や思いを結び合わせて次に向かえるかを心がけて、対話のファシリテートをしたりしています。
[AIDA]は豪徳寺の「本楼」で主に開催されていますが、そこは、松岡座長のプロデュースのもと、細部までしつらえられた贅沢な空間です。この場づくりに毎期驚かされます。
例えば、座長のテーマに関する「書」が掲げられているのですが、その意味は最初は伏せられていたり。ゲストやボードに関係する書籍や写真やパネルなどの展示が毎回変わったり。講義ごとに「しつらえ」が違っていて、そこに意図が込められています。
ビジネスでよくある失敗は、話し合う場に「日常」を持ち込んでしまうことです。いつもの延長線上で交わしあおうとするので、新たな発見や創発が起きにくい。一座建立ではないですが、その都度の趣向に添いながら非日常の場をしつらえることで、いつもと違った刺激を受け、思考が動き出すのです。
この方法は、[AIDA]を受講することでさらに深く学びました。こうした場づくりは大変ですし、編集力が問われます。ほかの研修会場ではなかなか味わえない豊かさなのではないでしょうか。
▲Season3「日本語としるしのAIDA」第1講では松岡座長が書いた「しるし」が本楼に設られた。行燈も「AIDA=間」も松岡座長による。
▲グラフィックデザイナー・松田行正さんのゲスト回では、松田氏のデザインした本で本楼を飾った。
▲真夏の夜に開催したイベント「AIDA OP」は、スタッフ手作りのうちわで玄関・井寸房もお祭りムードに。
――ビジネスの現場でも「用意された答え」を求めない方向にあるのですね。
土屋:私たちは手探りで進んでいるのです。人事も突き詰めれば人間とは何かを探究しているように、確たる「答え」を用意できるわけではありません。
言い方をかえると、「答え」を用意しないということは、完成形を目指さないということです。実はこれも、日本が得意にしていた方法だと思うんです。
例えば磁器のお皿。ドイツのマイセンは、日本の伊万里焼の影響を受けているといわれていますが、マイセンはそれ自体でひとつの完成形を目指しているように思います。棚にずらりと並んだ様子には隙がなく、完成された美しさを感じます。
一方の伊万里焼の皿は、料理を乗せることで完成します。つまりお皿の段階では未完成。使い手のための余白がある。受け手の想像力が触発される「創発が起きやすい皿」ともいえます。
答えをコントロールせずに、創発を促すという会議のあり方は、世界の潮流になっているといいましたが、私たちが意識していないだけで、日本は実は、昔からその方法を持っていたのです。
―日本を深く知ることが、ビジネスに結びついているのですね。
土屋:まだまだ深いところにたどりついていませんが(笑)。だからこそ[AIDA]にまた参加してしまうのでしょう。シーズン4も楽しみにしています。
[AIDA]受講者インタビュー
vol.1 奥本英宏さん(リクルートワークス研究所所長)
vol.2 中尾隆一郎さん(中尾マネジメント研究所代表)
vol.3 安渕聖司さん(アクサ・ホールディングス・ジャパン株式会社代表取締役社長兼CEO)
vol.4 山口典浩さん(社会起業大学・九州校校長)
vol.5 土屋恵子さん(アデコ株式会社取締役)
vol.6 遠矢弘毅さん(ユナイトヴィジョンズ代表取締役)
vol.7 濱 健一郎さん(ヒューマンリンク株式会社代表取締役社長)
vol.8 須藤憲司さん(Kaizen Platform代表取締役)