Season 4 第6講
最終講:「代」のおおもとをたどる
2024.3.2
「意識と情報のAIDA」を掲げ、10月22日に開講したHyper-Editing Platform[AIDA]Season4。本楼には初回から、松岡正剛座長による「情報」と「意識」の書が飾られていた。
最終講、冒頭のフラッグメッセージで[AIDA]プロデューサーの安藤昭子(編集工学研究所代表取締役社長)は、再度この書にフォーカスした。
なぜ、「意識・あらはれ・Ghost」「情報・うつろひ・Demon」が結びつくのか。第1講では皆目見当がつかなかったこれらが、最終第6講でおぼろげながら、座衆の中で線が結ばれていく。
「既にあらわされているものを語るのではなく、あらわれくるものをどう扱うか。奥にある、うつろいこそが情報の正体ではないか」。(安藤)
プロデューサーの安藤は続けて「AIDAはメイシー会議だった」と切り出した。
「メイシー会議」(1946~53年)とは、第二次世界大戦直後、ノーバート・ウィナー(数学)、ウォレン・マカラック(神経生理学)、マーガレット・ミード(文化人類学)、フォン・フェルスター(物理学)といった各分野の最先端の科学者たちが結集した会議のことだ。第3講で扱ったグレゴリー・ベイトソンも参加者のひとり。ここでは、「オートポイエーシス」や「複雑性」、「サイバネティクス」といった分野を横断する概念が飛び交い、その後の科学界の道筋をつくった。
多士済々のボードメンバー、属性も異なる座衆が集うAIDAは、現代のメイシー会議だったのだ。ここでは立場を超えて、交わし合いが起き、創発が生まれている。
安藤は、このAIDAが、三菱商事やリクルートなどビジネスの最前線で闘う人々の「切実さ」によって生まれたことを改めて強調した。
「意識と情報のAIDA」に切実に向き合い、走り続けた半年間。最後に何を持ち帰るのか、何になっていくのか。その成果のひとつとして座衆が書き上げたのが、最終レポート「間論(まろん)」である。最終講では、座衆の「間論」をめぐっての交わし合いを行った。
【座衆・間論】自らに由る「自由」を得るために
「意識・あらはれ・Ghost」と「情報・うつろひ・Demon」。「この一対の言葉のAIDAにあるものは何だろうと探してきた5か月間だった」と間論で振り返ったのは、たかとき連の本城慎之介さん(軽井沢風越学園理事長)だ。「AIDAは強烈な向かい風だったが、“わたしではないわたし”になってみる、という方法の中に、“自由”を感じ取った」と本城さん。
かなくし連の古谷奈々さん(中川政七商店)は、「画一化に向かいやすい店舗、摩擦を回避する傾向にある組織をどうしたらいいか」という切実さを言葉にした。工芸品は使うことで「わたし」になっていくはずなのに、それぞれの情報が切り離されたまま、消費されている。「講義の中で、田中優子さんが《大学のシーンは学生がつくる》と言われたことが響きました。店舗も、店舗の人がそれぞれのシーンを作ればいいんじゃないか」。
「正直苦しかったが、それ以上の大きな気づきがあった」というのは、おおなぎ連の岡山悠太さん(リクルート)だ。岡山さんは社会や会社の中で、「岡山悠太が奪われていく」という感覚があったという。だがAIDAを経て、この考えが変わった。「『本当の岡山悠太』などなく、『岡山悠太になっていく』過程なんじゃないか」。良いか悪いかの二元論で世界ははかれない。「複雑さを複雑なままとらえて編集していきたい」。
たなみつ連の塚本由紀さん(インプレス)は、「意識と情報のAIDA」を追求している過程で、「おさなごころ」「自己と他者」という根本的なところに立ち返っのだという。「確たる私やアイデンティティは要らない。自己と他者を混ぜながら、空間の中で自由に情報やものを動かす。その方がよほど創造的だ」。自己を離れた塚本さんの「身は軽くなった」。
かよさき連の新坂彩子さん(明星学園)は教師として「思考停止で受け身の状態になった子どもたち」に危機感を覚えていたという。「学校の中にいると、知を得る、情報を活用するという方向へ向かってしまう」。AIDAを経て、新坂さんは気づいた。「情報は外にあり、意識は内にあると思っていたが、逆だった。私が情報であり(内)、意識は世界と出会うところ(外)にある。天地が逆転した」。内なる情報を生かすために「余白や意外性に創発の可能性を見出していきたい」。
【ボードメンバー】間論に見えて来た“これから”への問い
座衆たちが半年間向き合った「意識と情報のAIDA」というテーマに、ボードメンバー6名もそれぞれの視座を加えていく。
武邑光裕「多様性ではなく、異質性を志向する」
武邑さんは、座衆の交わし合いからこぼれ出た「多様性」という言葉に着目した。「ベルリンでは“多様性”は古い言葉になっている」という。多様性とは単なる属性の違いに過ぎず、そこには「異化受粉」が生まれないからだ。「ベルリンでは、多様性ではなく、“異質性”を志向しています。異質との出会いで何かが生まれていく」。AIDAは異質同士がかけあわさる場なのだ。
吉川浩満「組織の中では〝ちょっと変な人〟くらいがいい」
間論で多くの座衆が挙げていた「なにものかになっていく」方法を、吉川さんは、映画監督ビリー・ワイルダーの例を持ち出して補足した。「ワイルダーは、“ルビッチならどうする?”と壁に貼っていた。ありのままの自分で撮ってたら、うまく撮れないとわかっていた」。ルビッチは『生きるべきか死ぬべきか』などで知られる独出身の映画監督だ。傑作を残す映画監督の多くは「変人」だが、「組織の中では“ちょっと変な人”くらいがいい」。
田中優子「“がんばる”より、“夢中”の中にこそ学びがある」
「自分の中まで、国家・世間・外からの眼差しが入り込んでいるのではないか」と間論に疑義を差し込むのは田中さんだ。学ぶ対象が「外」にあるのでどうしても、がんばって獲得する、となる。自分の中から湧き上がった「夢中になることの中にこそ持続的学びが生まれるのではないか。もっと、“好きになっちゃって困っちゃう”があってもいい」。
村井純「必要なのは、地球という空間で何をするか、という視点だ」
間論の発表を聞き終えた村井さんは「AIDAが自分のビジネスに役立った、としているが、それだけでいいのか」と問いを投げかけた。村井さんは、「インターネットによって10分の1秒で世界中が繋がる」という事実を強調する。「インターネットは“地球の空間”で動いている。“自分”や“会社”という視点を離れて、“地球”という視点で物事を捉えるべきではないか」。
佐藤優「ここは、“松岡正剛”という謎を考える場だ」
「ここは、『意識と情報のAIDA』を考えながら、“松岡正剛”という謎を考える場だ」と大胆に見立てるのは佐藤さん。類似例としてあげたのが、沖縄のユタだ。ユタは神や故人の言葉を相談者に伝える。だが相談者は、悩みを相談したつもりが「新たな問い」を授けられる。まさにAIDAでも起きていることだ。「松岡正剛の謎」の一端を、佐藤さんは「かき混ぜ力」と見る。何層にも分かれた日本の社会を、松岡座長に肖ってどうかき混ぜるか。
大澤真幸「空気を読むのはもうやめにしなければならない」
「日本人は世界のフリーライダーになってる。人口の3.5%以上が動けば、社会を変えられるのに、何もせず、誰かが解決するのを待ってる」。大澤さんは強い口調で危機感を口にした。その根底にあるのは、「空気を読む」という性向だ。「空気を読むのはもうやめにしませんか?」。AIDAに参加している間は、「何かを獲得した」いう気分でいられる。ではそれを日常に持ち帰ってどう生かすか。どう実現するか。
松岡正剛座長「“空気”を形にする」
最後に、松岡座長は、大澤さんをはじめ、ボードメンバーが次々と問題視した「日本人は空気を読む」という事象に対し、「そもそも空気とは何か」と問い直した。
「かつての日本では、空気を形にしていた。風、様、式、流、派というのがそれ。空気を形にすることで、新たな方法やイノベーションが生まれきた」と座長はいう。
「空気を読む。そこには、スタイルの停滞がある。読む読まない以前に、ロール・ツール・ルール(ルル3条)の変更を考えた方がいい。例えば、“会議で空気を読むな”と言う前に、会議のスタイルを変えればいい。僕は以前ある大企業の幹部たちに、“コンコルドに乗って会議をしたら?”と提案したことがありますけどね(笑)」。
最後に松岡座長は「代(だい)」という大きなテーマに言及した。
文明が大きくなるにつれ、代理性のシステムができあがってきた。その最たるものが代議制で成り立つ国民国家だ。資本主義もまた、代理店、代理業で発展してきた。だが国民国家も資本主義も行き詰まりを感じている。さらに生成AIの現在、「代」はどのように機能しているのか。「代」がとまっているのではないか。これこそが最大の問題だと座長はいう。
「“代”についておおもとから考え直さないといけない。じゃあどこまで戻るかと考えて、意識と情報のAIDAにいきついたわけです」
AIDA Season4は、この「代」をめぐる問題について考えてきた半年だったのかもしれない。では「自分は何の代理なのか」「どんな代が社会をつくっているのか」、最後に大きな課題が手渡され、Season4は幕を閉じた。
2005年から始まったHyper-Editing Platform[AIDA]は、一度たりとて「一様」ではなかった。常に変化の中にある。Season5ははどんな変貌を遂げるのか、2024年10月に開講する。