山本貴光

[AIDA]ボード・インタビュー第4回 山本貴光さん(文筆家・ゲーム作家)

お知らせ

文筆家・ゲーム作家山本貴光さんに聞いた「漢字の罠」とは

日本には「知のコロシアム」がある。その名はHyper-Editing Platform[AIDA]。ここは、松岡正剛座長と多士済々の異才たちとともに思索を深め、来たるべき編集的世界像を構想していく場だ。

2022年10月〜23年3月に実施したSeason3のテーマは「日本語としるしのあいだ」。

明治期、日本の知識人はヨーロッパの概念をつぎつぎに翻訳していった。logicは「論理」、philosophyは「哲学」へ。そのとき日本人はなぜ、和語ではなく漢語を選択したのだろうか。その理由は、漢字という記号に秘密があった。
文筆家・ゲーム作家の山本貴光さんが語る、漢字の罠とは。

*この記事は、受講者限定メディア「月刊あいだ」に掲載したものです。ボードメンバーのインタビューを特別公開します。

 

山本貴光/文筆家・ゲーム作家

1971年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。コーエー(現コーエーテクモゲームス)でのゲーム制作を経てフリーランスに。立命館大学大学院先端総合学術研究科講師などを経て、金沢工業大学客員教授、2021年4月より東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。関心領域は学術史、ゲームなど。「マルジナリアでつかまえて」(「本の雑誌」、本の雑誌社)、「季評文態百版」(「文藝」、河出書房新社)、「ゲームを遊ぶときに何が起きているのか」(「晶文社スクラップブック」、晶文社)など連載中。吉川浩満YouTubeチャンネル「哲学の劇場」主宰。

漢字には罠がある

――今期のテーマは「日本語としるしのあいだ」ということで、『文体の科学』などの著作で言語について論じておられた山本さんはとくに感慨深かったのでは。

山本: 言語、とりわけ私たちの母語である日本語というテーマは重要です。というのも、母語はご存じのように、特に意識せずとも使えてしまうものです。それだけに、ものを読むにせよ書くにせよ、聞くにせよ話すにせよ、あまり注意を払わなかったりします。しかし、ものを考え、新たな創造を行うには母語を異言語のように扱う必要があります。

――松岡座長の編集方法は、言葉を正しく使う「正名」的なアプローチと、あえて言葉を狂わせる「狂言」的なアプローチがありますね。

山本: 言葉の使い方には2種類あります。洋服でいえば、レディメイドとオートクチュールです。私たちはふだん、何事もなければレディメイドな言葉でやりくりをしています。S・M・Lなどの規格化されたシャツを着るように、手持ちの言葉で間に合わせる。しかし、既存の言葉では大賞を捉え損ねていることもあります。言葉に対象を合わせるには、言葉をオートクチュールのように仕立てる必要があります。つまり、対象に即した言葉を作るということです。

――「吊るし」の言葉だと、なかなかフィットしないですものね。松岡座長の初期の著作『概念工事』にも、言葉の変遷を辿ることで概念の意味を見極めるという方法が綴られていました。

山本: 手垢にまみれた言葉もどのように作られたのかを遡ってみると、いろいろなことがわかります。第1講では、西洋から輸入された「logic」という概念が「致知」や「論理」と訳された例をお話しました。こうした翻訳の機微を目に入れることで、母語を見る目も洗われると思います。

――明治期になって、日本は西洋から入ってきた言葉を翻訳しましたが、それは「論理」などのようにだいたい漢語的ですよね。なぜ和語にならなかったんでしょうか。

山本: おもしろいポイントですね。そうしようと思えば和語にもできたはずです。philosophyなら「知りたがる」とか……。

――そうすると言葉が長くなりますね。

山本: まさにそれが問題です。和語と比べて漢語には凝縮した構造があります。西洋諸語を翻訳した人びとは、思考の経済を図るために漢語を使ったのかなと思います。別の例で補助線を惹きましょう。数学の歴史を見ると分かりますが、古代では計算を示すのに数式ではなく自然言語で書いていました。「5という大きさに3という大きさを加えると8という大きさになる」という具合です。あるとき「+」や「=」といった記号で略記するようになる。先の文は「5+3=8」と記せます。こうなると構造も一目で把握できるし操作もしやすい。漢語にも同様の働きがあると思います。

――日本語話者は漢字とともに、ひらがなも使っていますよね。私たちは「てつがく」とひらがなでイメージするわけでなく、頭のなかでも「哲学」という漢字で意識されます。漢字のもつ効果とはどんなものなんでしょうか。

山本: 漢語は静的であるように感じます。静止画のように対象をピン留めするイメージです。動きを殺してしまうんですね。

たとえば「哲学」も、本来は人間の営みであり動的であるはずです。しかし漢語で「哲学」といえば、動詞というよりは名詞のように感じられる。これは漢字の罠と言ってよいかもしれません。漢語は概念をぎゅっと凝縮できる代わりに、動きの感覚が弱まってしまう。そこで使う人が、干物と湯戻しするように動きを与える必要があるわけです。

――「イノベーション」とか「ソリューション」とか、外来語をそのまま使うときにも動きが消えてしまいますね。

山本: もとの英語であれば「innovate」という動詞と表裏一体です。他方、日本語で「イノベーション」という場合、動詞の側面が意識しづらくなりますね。これをどうするかという課題があります。文科省はよく「論理的思考」という言葉を使いますが、この「思考」という漢語も曲者です。本来は「思い考える」というダイナミックな行為であるところ、漢語では静止画になってしまう。こうした外来語や漢語にどうやって動きを与え直すかという点も、日本語を使ってものを考えたり著したりする上では肝心なポイントであると見ています。

――私たちは言語によって、背後のコンテクストも含めた「エディティング・モデルを交わす」と松岡座長は考えておられますが、ゲーム作家として日本語と多言語の違いはどう感じられますか。

山本: たとえば日本語では主語がなくても通じますね。その場の人間関係や状況といった言語外のコンテクストに委ねているわけです。この特徴をうまく活かせば、小津映画のように少ない言葉で状況や感情を伝えられます。他方で、ゲームのシナリオを多言語に訳すような場合、日本語で省かれているものを補うこともままあります。こうしたことも異言語を鏡にするとよく見えます。

――受け手の編集が大事というお話が出ましたが、AIDAで学んだことを座衆のみなさんはどう活かしていったらいいでしょう。

山本: AIDAでの体験を「あの部分は使える」などと、目下の必要に照らしてつまみ食いするのはもったいない。せっかく異質な知に出会う場なのだから、自分が井の中の蛙であったということを正しく痛感した上で、自分の中にある知をこの先どんなふうに組み替えてゆこうかと考え実践する手がかりにするのはいかがでしょうか。

AIDAタブロイド誌

 

タブロイドおよびアイキャッチデザイン:穂積晴明
タブロイド撮影:後藤由加里
インタビュー記事構成:梅澤奈央
「月刊あいだ」編集長:吉村堅樹
AIDAサイト編集:仁禮洋子
(以上編集工学研究所)

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第6回:座長松岡正剛インタビュー「日本語としるしのあいだ」をめぐって

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