「ちえなみき」にひそむ文字の世界 〜来場者10万人突破記念ワークショップ〜
白川静の故郷に生まれた「ちえなみき」
「漢字には風景がある」。
文字が語る風景や物語を絵で表現し続けてきた画工・金子都美絵さんの言葉です。
金子さんが自身のテーマとして長年追いかけている漢文学者・白川静さんは、1910年に福井県に生まれました。
白川静さんといえば、甲骨文字や金文といった中国の古代文字を独自の方法で研究し、漢字成立の定説を2000年ぶりに改めた人物です。『字統』『字訓』『字通』の字書三部作は白川文字学の集大成と言われ、編集工学研究所でも白川静さんの文字や古代世界との向き合い方、東洋観をとても大切にしています。
そんな白川静さんを生んだ福井県の嶺南地方に位置する敦賀市に、2022年9月に誕生したのが「TSURUGA BOOKS&COMMONS ちえなみき」という知の拠点です。敦賀市が整備し、丸善雄松堂&編集工学研究所が運営する「ちえなみき」は、3万冊以上の本が、これまでの書店や図書館とは全く違う知の体系によって分類された、新しいスタイルの書店です。
ちえなみきのコンセプトは、「本を通じて「人」と「地域」と「世界」が繋がる」。
大樹をモチーフとした本棚空間が、本や知との偶然の出会いを演出する。
本と本との関係線や人と本との出会い、本を媒介にした人と人とのつながりを演出する「ちえなみき」は、オープンから3か月あまりで来場者が10万人を突破。敦賀市内の全人口数を超える方々が来場したと、大きな話題になりました。
ちえなみきの魅力は、一人でも、みんなでも、本に触れて本の世界に没頭できること。
子供から大人まで幅広い世代の方が、それぞれのスタイルで本に出会いに訪れる。
「漢字の折り本」をつくるワークショップを実施
来場者10万人突破を記念して、2023年1月8日に、ちえなみきでワークショップを実施しました。金子都美絵さんを講師にお招きして、一文字一文字の漢字が語る物語に触れ、その物語を小さな折り本に工作します。
猫好き、日本酒好きのチャーミングな画工 金子都美絵さん。白川静文字学を画本にする仕事を多く手掛けている。
著書『文字場面集 一字一絵』の「文字場面集」は松岡正剛によるワーディング。
一文字の中のものがたり
ワークショップのテーマは、「一文字の中のものがたり」。人々に語り継がれる物語は、「部分」だけで物語の全容を想起させることがあります。ウミガメと漁師の少年と竜宮城を見れば浦島太郎の話が思い浮かび、天の川と織姫と牛飼いを見れば七夕伝説が思い起こされる、といったように。
これと同じことが漢字にも当てはまるのだと、金子さんは言います。一文字の中に、木があったり、人がいたり、川が流れていたりする。それらの部分を結び合わせることで、漢字が何千年にもわたって抱いてきた物語が浮かび上がります。これを参加者にも実感してほしいと、今回のために特別なワークショップを準備してくれました。
金子さんが用意した絵のパーツを切って貼ると、自分だけの折り本が出来上がる。
金子さんの作品を真似て、全て自分で絵を描いた参加者も。
金子さんが用意したのは、「雲」「究」「集」「進」「思」「念」「想」という7つの字にひそむ、それぞれの文字のものがたり。
「雲という字は元々は「云」と書き、これは雲気のたなびく下に竜のくるっと巻いたしっぽが見えている形。大昔、人々は雲の中に「竜」がいると考えていた。」
「進という字は、鳥と道と足あとの形でできている。昔は進べきかどうかを迷ったとき、鳥を飛ばして占っていたため、「進」の中に鳥が潜んでいる。」
「念という字の「今」は栓のついているふたの形で、「心」は心臓の形。ふたをして中のものを閉じ込めるように、心中に深くかくす、心中に深く思うことを「念」といった。」
白川静さんの研究をもとに、漢字がもっている風景を読み解き、絵をつけた小さな折本キット。それを手に、子供から大人まで、夢中になって一つの文字の背後にうずくまっていた物語を自分の手で一冊の折り本に仕上げました。
金子さんは、見る人に想像力を羽ばたかせてもらいたいと、シルエットでの描写にこだわる。
顔や詳細部分まで書き込んでから、ディテールを消して仕上げるという。
「遊び」で漢字の本来に親しむ
工作に没頭するうちに、鋏を持つ手や、色鉛筆を握る指から、文字の歴史が一人一人の体に染み込んでいきます。金子さんは嬉しそうにこの光景を見守りながら、「漢字を楽しんで、奥に奥に入ってほしい」と語りました。
ハサミとノリで漢字に触れるという貴重な体験。
ワークショップの参加者も、自分が作った文字の本を握りしめながら、ついつい「他の漢字はどうだろう」と金子さんの著作や他の人の折り本に手が伸びます。
親子で参加した方は、「最近は小学生の頃からスマホやタブレットを使うことが多くて、字を書くことが少なくなっている。こうして一字一字を時間をかけて読み解くと、文字への向き合いかたが変わります」とワークショップを振り返っていました。
姉妹でワークショップに参加。それぞれ自分の「一文字の本」を誇らしく握りしめて。
自分でつくった折り本だからこそ、愛着もひとしお。そのぶん、文字の世界も身近になる。
ちえなみきに散りばめられた「世界の記憶」たち
松岡正剛は、著書『白川静』の中で、「文字は“世界を記憶している方舟”」と書いています。
歴史の中で一度は忘れられてしまった「文字が運ぶ世界の記憶」を、蘇らせたのが白川静さんでした。
「文字の背後に、文字以前の、はかり知れぬ悠遠なことばの時代の記憶が残されている」
−白川静
ちえなみきでは、白川さんの文字研究に基づいて金子さんが製作したグラフィック作品を、「古代文字の行燈」や「古代文字サイコロ」の中に見つけることができます。
2階の児童書コーナーに吊るされた「古代文字行燈」。象形文字の形と、その元になったイメージの絵が、子供たちを見守る。
本棚の中にも、「古代文字サイコロ」が散りばめられている。
棚のテーマに合わせた文字と「敦賀風景八ツ乃詠」が、本の空間に奥行きをもたらす。
普段何気なく使っている文字や言葉が、どれだけの年月を経て私たちの手元に届いているのか。その年月の間に、どれだけの人々のどれほどの物語に寄り添ってきたのか。思いを馳せながらちえなみきを散策するのも、一興です。